命は贈り物♪
今、ここに生きて感じているこの毎日は、
両親が与えてくれた贈り物♪
あの楽しい一日は、
そこに一緒に居てくれた誰かからの贈り物♪
悲しみを乗り越えたあの日も、
孤独を支えてくれた誰かの贈り物♪
私達の命から、
今までの出来事も、
そこで得た学びも、
全てのものが、
誰かからの贈り物♪
そんな私達だから、
大人になった今は、
誰かに贈る側になろう♪
今でも沢山のものを贈られている♪
だから、もっともっと沢山のものを誰かに贈ろう♪
あなたにも、
あなたの周りにも、
素敵な笑顔が詰まった、
贈り物で溢れます様に♪
<編集後記>
昨日は映画「ツナグ」を観てきました♪
感動ばかりのお話。
生と死について考えたと共に、
私の中にあった一つの絡まりが解けた様に感じる。
私は父親を4月に亡くしました。
末期の肺癌。
私達家族は、
その事実を父に告げる事はありませんでした。
父は最期まで治ると信じていました。
でも、、、
「本当にそれでよかったのか?」
私の中で臨終に伏した父を見てそう感じていました。
もちろん表向きは父のため、
父が最期の瞬間も希望を持って今までと同じ様に家族と過ごせる様にという思いがありました。
でもそれは、
私達生きていく側のエゴだと思います。
そんなエゴが、
父親に病気の状態を話す事を遮ってしまった。
そう感じていました。
映画の最後に、
「死者の物語は生きている人達の為の物語」という言葉を聴いて、
ハッとさせられました。
もしも父親とツナグの力で会ったとしたら、
父は「そんな事気にするな」って言うんじゃないかなぁって思う。
そして多分、
「男ひとりだから家族を守れ」って言うんじゃないかと思う。
優しい人だったから、
「淋しい思いをさせて」と謝るのかもしれない。
少なくとも、
私達生きている家族が、
例えエゴだったとしても、
「お父さんの為に」って思ってとった行動を否定したりはしないだろう。
「お前たちがそう思ったのなら、それで間違いない」
お父さんのそういう声が聴こえる様な気がする。
映画「ツナグ」。
今、ここでこの映画が上映されて、
無理をしても観にいきたいと感じた事の意味が、
きっとあると信じている。
足立悠介
今、ここに生きて感じているこの毎日は、
両親が与えてくれた贈り物♪
あの楽しい一日は、
そこに一緒に居てくれた誰かからの贈り物♪
悲しみを乗り越えたあの日も、
孤独を支えてくれた誰かの贈り物♪
私達の命から、
今までの出来事も、
そこで得た学びも、
全てのものが、
誰かからの贈り物♪
そんな私達だから、
大人になった今は、
誰かに贈る側になろう♪
今でも沢山のものを贈られている♪
だから、もっともっと沢山のものを誰かに贈ろう♪
あなたにも、
あなたの周りにも、
素敵な笑顔が詰まった、
贈り物で溢れます様に♪
<編集後記>
昨日は映画「ツナグ」を観てきました♪
感動ばかりのお話。
生と死について考えたと共に、
私の中にあった一つの絡まりが解けた様に感じる。
私は父親を4月に亡くしました。
末期の肺癌。
私達家族は、
その事実を父に告げる事はありませんでした。
父は最期まで治ると信じていました。
でも、、、
「本当にそれでよかったのか?」
私の中で臨終に伏した父を見てそう感じていました。
もちろん表向きは父のため、
父が最期の瞬間も希望を持って今までと同じ様に家族と過
でもそれは、
私達生きていく側のエゴだと思います。
そんなエゴが、
父親に病気の状態を話す事を遮ってしまった。
そう感じていました。
映画の最後に、
「死者の物語は生きている人達の為の物語」という言葉を
ハッとさせられました。
もしも父親とツナグの力で会ったとしたら、
父は「そんな事気にするな」って言うんじゃないかなぁっ
そして多分、
「男ひとりだから家族を守れ」って言うんじゃないかと思
優しい人だったから、
「淋しい思いをさせて」と謝るのかもしれない。
少なくとも、
私達生きている家族が、
例えエゴだったとしても、
「お父さんの為に」って思ってとった行動を否定したりは
「お前たちがそう思ったのなら、それで間違いない」
お父さんのそういう声が聴こえる様な気がする。
映画「ツナグ」。
今、ここでこの映画が上映されて、
無理をしても観にいきたいと感じた事の意味が、
きっとあると信じている。
足立悠介
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